7/20/2010

「止まれ」で止まらない車は、理解に苦しむ

何故、自動車は「止まれ」の標識や標示で止まらないのだろう。私はちゃんと「止まる」自動車を産まれてこのかた見たことがない。横断歩道はあるが信号がない場所で、こちらは横断歩道を自転車で渡っている。あとから自動車が接近してくる。こんな場合、仮に「止まれ」がなかったとしても、自動車は止まるべきである。強者弱者の力関係を考えても、答えは変わらない。そこで、自転車に乗りながら運転者の目線を見ていると、標示を全く気にしていない。むしろ「何故お前が止まらないんだ」と言わんばかりの表情をしている。標示が目に入らないほど視力が低いのか、「止まれ」の文字すら読めない無学極まりないモノなのかは判らない。しかしどちらにせよ、そのようなモノに運転免許証など発行する理由はない。

道路交通法は守るためにある。もし全ての人がこれを守れば、交通事故など起こる筈がない。しかし交通事故は毎日発生している。ならば交通事故が発生しないように、自動車製造の過程において厳しい規制を行ったり、法整備をして厳罰を定義すれば、交通事故は間違いなく減る。しかしこれは行われない。違反金や罰金といった収入が警察に入らなくなってしまうからだ。

ならば人々の意識改革が行われれば、とも思うが、この無秩序の現代日本において、それは有り得ない。ならばここに書いても仕方ないのだが、あまりにも一時停止を軽んじている運転手が多過ぎるため、書かざるを得ない。

一時停止をしない運転手には、懲役 3〜5 年執行猶予なしという罰が妥当であると思っている。一時停止といった極々簡単なルールも守れないような人間には、猛省してもらわなければ、秩序は保たれない。飲酒運転やスピード違反といった見た目に判りやすい違反は厳罰化されているように思えるが、こういった「基本的なルール」を守れない人間は、自動車を運転すべきではない。

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