3/24/2010

Opera のダウンロード数増加

Choose Opera 日本支部 - ヨーロッパでは・・・

ちょっと前の記事だけど、ヨーロッパでの Opera ダウンロード数が増えたみたい。あの Windows に IE が同梱されているから不当だ!みたいな裁判を起こしたあれに由来する増加らしい。どこかにも書いてあったが、日本ではブラウザや検索エンジンのチョイスが世界標準からかけ離れている。何故だろうか。

すぐに頭をよぎるのは、日本は長い間に渡って鎖国を行っていた経験があるということ。昔の話と思うかもしれないし、確かに昔の話なんだけど、結構人の心には深く根ざしているかもしれない。

京都の人間は閉鎖的で心の壁を作っている、とよく言われる。関東でも言われるし、近畿でも言われる。これの原因となる出来事は鎖国よりもさらに古いことに起因している。源義仲にまで遡らなければならない。

当時、全国にいた武家には源氏由来の人たちもかなりいた。しかし源氏で権力を持つ者がいなかった。頭領であった源義家も平治の乱で姿を消しており、武家が自分の所領を安堵してもらうには、京の平家に奉公しなければならなかった。京への旅費も滞在費も全て自分持ち。そのようなこともあり、所領の安堵に命を賭けるということで「一所懸命」という言葉が誕生した。「一生懸命」は明らかに変である。一生に命を賭けるのは当たり前だし、必然的にそうなるからだ。さて、そんな戦争でもないのに自分の所領を守るのに苦労することから各地の武家の不満が噴出し、北陸に源義仲を頭領とした軍勢が誕生した。そして見事平家を蹂躙し、上洛を果たした。しかし、この軍勢は盗賊なども多く混じっていたため統率が取れておらず、京で様々な狼藉を働いた。民衆はもちろん、時の後白河上皇を始めとする公家も難儀し、遂には上皇の位打ちなる策略で義仲を腑抜けにした。そこへ源頼朝が遣わした武将である源義経が義仲を打ち破って上洛を果たした。この一連の出来事により、他の土地の者(義仲)が入って来て、新しい風に期待したものの、期待はずれ(義仲軍による狼藉)に終わったという経験が現在の京都の人にも感覚として残っていて、心の壁を知らず知らずに作ってしまう、、、らしい。

Opera から義仲へ、どうも話が変わってしまったが。

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