3/22/2010

阪急京都線の列車種別が納得いかない

停車駅のご案内|阪急電鉄

先日、3/14 に大阪・京都・兵庫を走る阪急電鉄のダイヤ改正が行われた。今回は京都線に「摂津市駅」という新駅開業があるため、ダイヤグラム上では非常に重要な意味があるんだと思う。しかし、納得がいかない。

ここ 10 年ほど、阪急は電車の種別で迷走し続けている。10 年ちょい前以前、京都線には特急・急行・普通という 3 種類しかなかった。しかも特急は、大阪の十三から京都の大宮までの間、全く停車せず、何十もの駅をすっ飛ばしていた。「急ぐ」を具現した感じだったが、10 年ちょい前に快速やら準急やらが現れては消えていた。停車駅もほぼ各駅だったり、急行とほとんど差がなかったりとコンセプトがよく判らなかった。凄まじく急ぐ特急も、高槻に停まり、桂に停まり、と徐々に停車駅が増えていった。さらにここ数年間は、特急系列が複数存在していたが、それぞれがやはり微妙な停車駅の差だけだった。

最も納得のいかないポイントが 2 点ある。1 点目は、現在の種別に急行が存在しないことだ。いや、別に急行が愛おしいわけではない。狂おしいわけでもない。特急や快速急行や準急が存在するのに、急行が存在しないからだ。快速急行はそのままだけど、特急は特別急行の意であり、準急は準急行の意である(英語表記は Semi-Express と書かれている)。どちらも急行を前提に名付けられた名称だ。であるのに、急行が存在しないというのは筋が通らない。喩えて言うなら、海老があってこその海老フライなのに、肝心の海老が入っていないようなものだ。

もう 1 点は、かつては凄まじいくらいに幾つもの駅をすっ飛ばしていた、実に男気溢れていた特急の価値が今ではもう非常に薄く、停車駅の安売りが行われ続けていることだ。数年前までの勢いは既になく、今はもうかつての急行とほぼ同じ程度に成り下がっている。長岡天神に停車する意味はあるのだろうか。まぁこれは駅近くにある某宗教の圧力ではないかと推測する。淡路も停車の必要を感じないし、今回の改正で茨木まで停車するようになってしまった。そして、以前の強力な特急でも停車していた大宮がここ数年見放されている。もう迷走としか言えない。

実にローカルな話題で申し訳ない。

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