9/24/2009

音楽という芸術

20〜23 は現場仕事であまりにもヘトヘトだったので、今日から再開してみる。

19 日は京都コンサートホールにて、京都市主催、オムロン協賛のオルガンコンサートに行ってきた。このタイトルのコンサートは年に数回行われており、過去数年で 5 回ほど行っている。この京都コンサートホールのオルガンは日本最大級であり、音がとても私好みだ。東京に住んでいた頃、池袋の東京芸術劇場でもオルガンコンサートを見に行ったが、ここのオルガンの音はさほど好みではなかった。ただ、非常に造形が美しく、2 基のオルガンが背面で引っ付いており、休憩時間には回転して様相を一転させるという珍しいもの。

さて、話を京都に戻すが、当日のセットリストは以下の通り。

1. 小フーガト短調 BWV578
2. クラヴィーア練習曲集第 3 巻よりプレリュード変ホ長調 BWV 552/1
3. 同第 3 巻よりドイツ・ミサ曲 BWV669〜671、676、677
4. オルガン独奏のための風の夜

休憩

5. クラヴィーア練習曲集第 3 巻より教理問答コラール集 BWV678〜686、688
6. 同第 3 巻より 5 声のフーガ変ホ長調 BWV552/2
7. フーガの技法 BWV1080 より 3 つの主題による 4 声のフーガ

(1.〜3.、5.〜7. は J.S.Bach、4. のみ三宅榛名)

オルガンの音は間違いなく素晴らしい。ただ、演奏者である大井宏明氏が体調を崩しているのか、しょっちゅう咳き込む。加えて、氏の弾き方はピアノっぽい弾き方をするので、個人的には好きな演奏ではなかった。しかし、ドイツ・ミサ曲が思った以上に素晴らしく、非常にありがたい気持ちになった。神々しい場面に出会っているような感覚というか。
4 曲目は、正直、意味が判らなかった。なんというか、私の最も好きな楽器であるオルガン、さらに京都コンサートホールのオルガンであるにも関わらず、雑音としか認識できなかった。作曲者には悪いが、私の方が世に受けるオルガン曲を創れる自信がある。

この日のコンサートを聴いた上で、やはり音楽というものは緻密に計算された曲構成に神髄があると思う。それも、もう 200 年以上大勢を占めているホモフォニーではなく、メロディーが互いに構築しあうポリフォニーであり、対位法による楽曲が音楽という芸術の最高峰に位置すると、小学校の頃より感じ続けている。単なる和音で終わらせず、一つ一つの音符に意味があり、無駄が一切ない構成は、創造する上で極めて難しいが、とても挑戦しがいのあるテーマであり、音楽者としては挑戦すべきテーマだと思う。私の音楽観念からすると、歌詞は音楽に必要ない。音だけで充分に芸術を表現できる。
今の日本には、芸術として創造されている音楽が極めて少ないと感じている。売れれば良しとする産業の一つに成り下がり、全く芸術性がない。それを迎合する大衆も大衆であり、逆に、芸術として極めようとしている音楽者達は苦労を強いられている。ナンセンスだ。特にメロディーがそもそもなく、リズムとボヤキだけのラップやらヒップホップなど、音楽に分類すること自体がそもそも間違っている。ラップやらヒップホップは糞だ。糞という分類を作ればいい。

是非、オルガンの生の音を聴き、音楽という芸術を感じに足を運んでいただきたい。今までオルガン曲をしっかりと聴いたことのない人にとっても、新しい発見がある、素晴らしい体験になると思う。

京都コンサートホール
東京芸術劇場

No comments:

Post a Comment

Note: Only a member of this blog may post a comment.