8/17/2009

日本人が英語を苦手とする勝手な考察

私だけが持つイメージかもしれないが、日本人は英語を苦手とする。何故苦手なのだろうか。その勝手な考察を書いてみようと思う。

結論は、発音と語彙力だと思う。

英語の発音の内、日本語にないものは多い。「v」「th」「f」絡みの発音などは顕著だ。これらは「ヴ」、「サ」や「タ」、「フ」をほとんどの場合で代用される。表記はどうしようもないが、発音できないのかと言えばそうではない。日本人だってもちろん発音できる。ただ、発音の方法の教え方に私はイマイチ賛同できない。
例えば「v」についてだが、下唇を口の中にたぐり寄せてまで上の前歯で大胆に噛む必要はない。下唇の内側に上の前歯を置いてやるだけで「v」の発音になる。「f」の発音も同様だ。この方法による発音で、今まで外国人に指摘されたことは一度もない。「th」に関しては鬱陶しいまでに上下の歯の間に舌を挟んでいるところを見せたがっている人もいるが、そんなめんどくさいことをしなくても、上の前歯に舌をちょこんと当て、発音する瞬間に舌を引けば良い。これでも充分に「th」を発音することができ、これも指摘されたことはない。
わざと大げさな発音方法を教えることにより、どうも日本人の「恥ずかしい」という部分を刺激するのかなとも思う。結果的に「v」は「b」、「th」は「s」や「t」、「f」は「h」になってしまうのだろう。
かなり昔、とあるテレビ番組で花瓶を欲しい女性が店員に話している光景があった。店員は店の奥からホームベースを持ってきた。「vase」と「base」の完全なる混乱である。正しく発音しようとすることは、決して恥ずかしいことではないし、結果的にマイナスになる。

そして、語彙力も大事だと思う。語彙力さえあれば文法が判らなくても意味を取れるし、伝えることもできる。文法としては有り得なくても「You starving?」で通じる。そして、語彙力も単語の核となるイメージを理解すれば随分と楽に増強される。例えば「in」は「○○の中」という共通のイメージを持っている。それさえ判れば、「sit on と「sit in」の違いに戸惑うことはないはず。本などで「Sit on, please」と書いているのと「Sit in, please」と書いてあるのでは、用意されている椅子が違うことに気づく。前者は「on」なので、ちょこんと座るような椅子であり、後者は「in」なので体を椅子の中に入れるような感じの、バスローブとブランデーと黒猫がオプションで付きそうな深々と座るソファーのような椅子が用意されていることになる。別の例として「at」は「あるポイント」というイメージを持つので、「Kick the door」では単にドアを蹴るという意味で蹴り方には言及しないが、「Kick at the door」となるとつま先でドアを蹴るという表現になる。

冒頭の結論にもうひとつ加えたい。それはメディアの責任だ。

ずっと気になっているのだが、テレビや新聞など大手メディアは朝鮮から加えられた昔の圧力の影響で、朝鮮人の名前や地名にできる限り朝鮮語に近いカタカナを使う。であるのに、他の外国についてはそれを適用しない。もちろんこのエントリーの趣旨からすると、現地の発音に近い表記を使うことはとても歓迎である。朝鮮と中国と同じ「金」名でも、中国人には「キン」と読む。同じ扱いにはできないのか。また、ドイツの「burg」や「berg」などは「ブルグ」「ベルグ」と表記されることが多い。しかしドイツ語では単語の最後にある「g」は濁らず、「ブルク」「ベルク」となる。朝鮮だけ特別扱いにするのはおかしい(朝鮮も日本を特別扱いしているが。日本を特別「嫌い」なだけだが)。やるのであればどこの国であっても同じように表記すべきだ。
また、メデイアと言ってもテレビやビデオに限らない。広告や果ては個人のブログにも及ぶ。今回のエントリーで一番言いたかったことだが、前述のように平気で英語とズレたカタカナを使うことだ。例えば、受信料という名の税金を取ろうとする日本の国営放送 NHK でさえ、「ニュース」と表記し、言う。「new」の塊、すなわち複数型の「s」が付いた「ニューズ」とするべきであるのに。さらに「Gas station」なのに「ガソリンスタンド」と言ってみたり、「Web site」を「ホームページ」と言ってみたり。このような誤った用法が横行し常識となってしまうことで、いざ外国人と話したときに通じない。通じないは転じて苦手となる。この責任はかなり大きいと思う。
もうひとつ、略語の横行も正しい言語の認識を妨げている。略語により本来の語句が判らないという、極めて不本意な影響が出てしまう。

英語をどの段階で教え始めるべきかという論議は今でも続いている。私個人の見解としては、幼稚園や保育園から始めるべきだと思う。ただし、文法などはどうでも良い。幼稚園や保育園ではカードに描かれた絵の名称を発音させることに徹底するだけで良いと思うし、小学校では好きな英語の歌を外国人が聞いても違和感がないように歌えるだけのことで良いと思う。英語の発音は外国人教師にのみ教えられるものではない。英語の歌を真似していくことでもある程度は身に付く。文法は今まで通り中学校からでも遅くはない。小学校を卒業する前に英語の音を肌で感じ習得するだけでも、随分と変わってくると思う。文法を教える時間があれば、国語を教えるべきであろう。

もし外国語を話そうと思うのであれば、必要な環境に移動することが一番手っ取り早い。私はドイツに 3 か月しか住んでいなかったが、毎日とあるテレビのチャンネルでは毎晩数字を連呼するので、それを流しているだけでも数字はある程度判るようになる。
ある駅でとっても困った顔をした青年が近づいてきて「家に帰りたいのに切符代が足りない。50 セントくれないか?」と英語で聞かれ、あんまりにも困っているし、50 セントくらいならいいかと思ったが、50 なのか 15 なのかが微妙だった。そこで「50 か?」とドイツ語で聞き返したことがある。また、暮らしていくのには食事は当然欠かせない。ということは食材の名前を憶えないと生きていけないということになるので、最初に食材について色々と憶えるようにした。すると、メニューがドイツ語表記でないと判らなくなるということになった。以前、フランス〜オーストリア〜ドイツを旅したことがあったが、ドイツ語圏のオーストリアに入った途端に気が楽になった。仕事でいた期間はチームで滞在しており、仕事の公用語は日本語だったので、あまり極端な必要性は出なかったものの、これぐらいの変化は起きた。

もう一度結論を書く。
日本人が英語を苦手とする原因は、発音であり、語彙力であり、メディアによる誤用だらけのカタカナだと思う。

以上、乱筆・乱文だが、私の外大時代の授業や滞在経験を踏まえた考察である。

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