石川議員を逮捕、小沢氏の元私設秘書も…東京地検
このまま、小沢・鳩ポポと逮捕していってほしい。年始から良い感じの展開だ。
1/16/2010
1/15/2010
私の音楽歴
音楽という芸術 でも触れさせていただいた内容と重複するかもしれないが、「音楽」というものに対する私の観念を書いてみようと思う。
私はそもそも、小学校の頃にピアノを習わせられた。最初はヤマハ音楽教室に通い、先生が独立したあとは、その方に個人レッスンをしていただいた。発表会にも何度か参加したことがある。題材に今は懐かしい「ドラゴンクエスト III」を使ったこともあるし、先生と連弾でやったこともある。小学五年の頃は学校の音楽クラブに入ったが、男子が私しかいなかった。さらにその頃、小学校の友人から「ピアノなんて女みたい」と罵られ、恥じた私はピアノに身が入らなくなり、わざと学校の音楽の点数を落とす行動に出たこともある。中学に入り、普通に勉強したいというどうでもいい理由からピアノを辞めた。できれば音楽大学に入れるかもと妄想していた親の期待を裏切ったわけだが、自分でももっと続けておけば良かったと後悔している。
家には親父のレコードが数多くあったが、ほとんどがジャズだった。10 歳のときに骨折し、祖父母のいた東京で入院していたため学校へ行けず家庭教師を頼んでいたが、来た先生がクラシック音楽を愛する方で、勉強そっちのけで音楽について語りあい、「題名のない音楽会」の話なども飽きずにしていた。腕の具合が良くなってきたため彼と別れることになったが、餞別として彼はクラシック音楽のレコードを 14 枚くれた。今となっては針がダメになったので聴くことはできないが。。。
私が初めて手にした CD はバッハのオルガン曲集だったが、中学に入ると回りに影響されてポップスも聴くようになったが、ほんの数年だった。高校の最初の年に X に初めて出逢い、それ以来、メタルという構成美を至上とする音楽分野へ傾倒していった。高校では HELLOWEEN、VIPER、ANGRA、RAGE 等を友人に紹介してもらい、大学では Yngwie Malmsteen、Blind Guardian、Stratovarius、Royal Hunt、Symphony X、DREAM THEATER などを教えてもらった。また、「HEAVY METAL SYNDICATE」というラジオ番組を毎回聴き、Burrn! 誌を読み漁っていた。そして、巷に普及し始めていたインターネットにおいて、幾人かの友人ができ、様々なバンドを知るようになったり、Kelly Simonz's Blind Faith の Kelly 氏と知り合ったり、ライヴハウスに通って Moonstruck、Marge Litch、Knighttear と言ったマイナーではあったが好みのセンスを持つバンドと仲良くなったりした。
会社に入るとそうも行かなくなり、だんだんと最新のバンド情報に疎くなっていったが、私自身の観念は変わらなかった。ベースには敬愛するバッハが流れた、メタルの疾走感、プログレッシヴメタルの構築美を全て融合している類いの音楽を好んでいる。
私は一つ一つの音に対して議論を重ね、過剰な音はないか、不足な音はないかという作曲方法を好んで使用している。その議論が非常に長くなるのは、対位法を用いるときだ。現代音楽において大勢を占めているモノフォニーやホモフォニーなどは非常に楽なのだが、それぞれの音を理論的に構築していかないと対位法は完成しないため、鼻歌レベルでは不可能と言って良い。よく「5 分で曲を作れる」とか言う輩がテレビ等に露出されているが、それはただ一つのメロディーなだけで、構築などというレベルではない。議論もないため非常に濃度が薄いと言える。音楽は磨き上がれば芸術になり得るし、学問でもある。その磨きの過程を放棄しているポップスは、私の趣向に会わないし、「アーティスト」などの言葉は奴らへは論外であろう。
また、「歌詞が良い」などと聴くことも多分にある。しかし私から見れば歌詞などどうでも良く、なくても全く意に介さない。歌声でさえ、一つの楽器と捉えているので、「フンフンフン」と歌おうが歌詞がついていようが、同じだ。ただ、私は歌詞が嫌いだと言っているわけではない。あってもいいが、なくてもいい、それだけの存在と思っている。しかしどうせ歌詞をつけるのであれば、自分の主張や世界観をそこに構築すべきであって、惚れた腫れたなどの詩を公共の電波に載せることは、全くの無駄である。そんなことは伝えたい人にこっそりと言えばいいことであって、声を大にして言うことではない。構築美もなく、世界観もなく、歌詞もしょーもないという点が揃っているので、私はヒップホップやラップを激しく嫌う。
先に挙げた対位法も難解な技法ではあるが、それぞれのパートが違う拍子を持つポリリズムも構築するのに手間がかかる。変拍子はもういくつも使っているので大して苦にはならないが、変拍子同士のポリリズムなど難儀である。しかしこのような難解な音楽を構築することだけが、私の音楽欲を満たすので、今後も続けていきたい。
私はそもそも、小学校の頃にピアノを習わせられた。最初はヤマハ音楽教室に通い、先生が独立したあとは、その方に個人レッスンをしていただいた。発表会にも何度か参加したことがある。題材に今は懐かしい「ドラゴンクエスト III」を使ったこともあるし、先生と連弾でやったこともある。小学五年の頃は学校の音楽クラブに入ったが、男子が私しかいなかった。さらにその頃、小学校の友人から「ピアノなんて女みたい」と罵られ、恥じた私はピアノに身が入らなくなり、わざと学校の音楽の点数を落とす行動に出たこともある。中学に入り、普通に勉強したいというどうでもいい理由からピアノを辞めた。できれば音楽大学に入れるかもと妄想していた親の期待を裏切ったわけだが、自分でももっと続けておけば良かったと後悔している。
家には親父のレコードが数多くあったが、ほとんどがジャズだった。10 歳のときに骨折し、祖父母のいた東京で入院していたため学校へ行けず家庭教師を頼んでいたが、来た先生がクラシック音楽を愛する方で、勉強そっちのけで音楽について語りあい、「題名のない音楽会」の話なども飽きずにしていた。腕の具合が良くなってきたため彼と別れることになったが、餞別として彼はクラシック音楽のレコードを 14 枚くれた。今となっては針がダメになったので聴くことはできないが。。。
私が初めて手にした CD はバッハのオルガン曲集だったが、中学に入ると回りに影響されてポップスも聴くようになったが、ほんの数年だった。高校の最初の年に X に初めて出逢い、それ以来、メタルという構成美を至上とする音楽分野へ傾倒していった。高校では HELLOWEEN、VIPER、ANGRA、RAGE 等を友人に紹介してもらい、大学では Yngwie Malmsteen、Blind Guardian、Stratovarius、Royal Hunt、Symphony X、DREAM THEATER などを教えてもらった。また、「HEAVY METAL SYNDICATE」というラジオ番組を毎回聴き、Burrn! 誌を読み漁っていた。そして、巷に普及し始めていたインターネットにおいて、幾人かの友人ができ、様々なバンドを知るようになったり、Kelly Simonz's Blind Faith の Kelly 氏と知り合ったり、ライヴハウスに通って Moonstruck、Marge Litch、Knighttear と言ったマイナーではあったが好みのセンスを持つバンドと仲良くなったりした。
会社に入るとそうも行かなくなり、だんだんと最新のバンド情報に疎くなっていったが、私自身の観念は変わらなかった。ベースには敬愛するバッハが流れた、メタルの疾走感、プログレッシヴメタルの構築美を全て融合している類いの音楽を好んでいる。
私は一つ一つの音に対して議論を重ね、過剰な音はないか、不足な音はないかという作曲方法を好んで使用している。その議論が非常に長くなるのは、対位法を用いるときだ。現代音楽において大勢を占めているモノフォニーやホモフォニーなどは非常に楽なのだが、それぞれの音を理論的に構築していかないと対位法は完成しないため、鼻歌レベルでは不可能と言って良い。よく「5 分で曲を作れる」とか言う輩がテレビ等に露出されているが、それはただ一つのメロディーなだけで、構築などというレベルではない。議論もないため非常に濃度が薄いと言える。音楽は磨き上がれば芸術になり得るし、学問でもある。その磨きの過程を放棄しているポップスは、私の趣向に会わないし、「アーティスト」などの言葉は奴らへは論外であろう。
また、「歌詞が良い」などと聴くことも多分にある。しかし私から見れば歌詞などどうでも良く、なくても全く意に介さない。歌声でさえ、一つの楽器と捉えているので、「フンフンフン」と歌おうが歌詞がついていようが、同じだ。ただ、私は歌詞が嫌いだと言っているわけではない。あってもいいが、なくてもいい、それだけの存在と思っている。しかしどうせ歌詞をつけるのであれば、自分の主張や世界観をそこに構築すべきであって、惚れた腫れたなどの詩を公共の電波に載せることは、全くの無駄である。そんなことは伝えたい人にこっそりと言えばいいことであって、声を大にして言うことではない。構築美もなく、世界観もなく、歌詞もしょーもないという点が揃っているので、私はヒップホップやラップを激しく嫌う。
先に挙げた対位法も難解な技法ではあるが、それぞれのパートが違う拍子を持つポリリズムも構築するのに手間がかかる。変拍子はもういくつも使っているので大して苦にはならないが、変拍子同士のポリリズムなど難儀である。しかしこのような難解な音楽を構築することだけが、私の音楽欲を満たすので、今後も続けていきたい。
ラベル:
music
Doodle 4 Google
Doodle 4 Google
Doodle への投票が始まったようだ。私も全地区全部門へ投票してみた。
地域によって題材がある程度同じような感じなのが興味深い。北海道や東北は雪に関する題材、神奈川は横浜に因んだ題材、熊本にはモロ熊本城と、実に楽しいエントリーが多く揃っている。
最近は google がテレビ CM を打っているようで、たまに見かける。やはり日本での利用率の低さは課題なのだろうか。この doodle の試みは利用率アップに繋がると思うし、自分が描いたロゴが例え 1 日であっても世界中から閲覧できるようになることは、とても名誉なことだろう。
Doodle への投票が始まったようだ。私も全地区全部門へ投票してみた。
地域によって題材がある程度同じような感じなのが興味深い。北海道や東北は雪に関する題材、神奈川は横浜に因んだ題材、熊本にはモロ熊本城と、実に楽しいエントリーが多く揃っている。
最近は google がテレビ CM を打っているようで、たまに見かける。やはり日本での利用率の低さは課題なのだろうか。この doodle の試みは利用率アップに繋がると思うし、自分が描いたロゴが例え 1 日であっても世界中から閲覧できるようになることは、とても名誉なことだろう。
ラベル:
Google
1/13/2010
中国事業から撤退辞さず=人権活動家狙ったサイバー攻撃で-米グーグル
中国事業から撤退辞さず=人権活動家狙ったサイバー攻撃で-米グーグル
さすが、中国。さすが、google。
そこまで言って委員会で「ゆすりたかり国家」と評された国だ。
ここまで情報規制するということは、それだけこの国には闇の部分が多いということになる。ドイツは今、ナチ隠さずに汚点として自認し、教訓とし、自らを見つめている。中国にはそういう観点が全くなく、中華思想の「俺が王様」を貫いている。しかしそれがマイナスポイントとなり、世界から隔絶されつつあることを、いつになれば自認するのか。情報規制だけでなく、虐殺も横行している、本当に恥ずかしい国である。そのような国の副主席と会わざるを得なかった今上陛下のお心は、どれだけ苦しかったことだろうか。
google が中国から撤退するという英断を採択したとしても、どれだけの人民が、規制の外れた google を用いて真の自国の姿を見ることができるのだろうか。
昔、中国は優れた国家だと思っている。文化や文明など、世界に与えた影響は大きいだろう。しかし、今や世界の癌とも言える位置にまで没落している。曹操はどれだけ悲しんでいるか。
そして、この中国にも嫌われているのが南朝鮮であることを、忘れてはならない。
さすが、中国。さすが、google。
そこまで言って委員会で「ゆすりたかり国家」と評された国だ。
ここまで情報規制するということは、それだけこの国には闇の部分が多いということになる。ドイツは今、ナチ隠さずに汚点として自認し、教訓とし、自らを見つめている。中国にはそういう観点が全くなく、中華思想の「俺が王様」を貫いている。しかしそれがマイナスポイントとなり、世界から隔絶されつつあることを、いつになれば自認するのか。情報規制だけでなく、虐殺も横行している、本当に恥ずかしい国である。そのような国の副主席と会わざるを得なかった今上陛下のお心は、どれだけ苦しかったことだろうか。
google が中国から撤退するという英断を採択したとしても、どれだけの人民が、規制の外れた google を用いて真の自国の姿を見ることができるのだろうか。
昔、中国は優れた国家だと思っている。文化や文明など、世界に与えた影響は大きいだろう。しかし、今や世界の癌とも言える位置にまで没落している。曹操はどれだけ悲しんでいるか。
そして、この中国にも嫌われているのが南朝鮮であることを、忘れてはならない。
1/06/2010
宗教と日本
先日、幼なじみと宗教と日本についておしゃべりをしていた。宗教と言っても、怪しい新興宗教ではなく、古来からある宗教について。話の切り出しは、彼が「仏教は良く言えば懐が深い、悪く言えば緩い」と話してきたことから始まった。仏教信仰者への戒律が厳しくないということを発端としている。確かに、キリスト教のように悪事を働けば懺悔をしなければならない、イスラム教のように毎日 5 回の礼拝?の必要があるなどの戒律に対して、仏教には「南無阿弥陀仏」を唱えれば良いだけという宗派も存在する。仏教の「人間には煩悩が数多くあり、死ぬまでに少しでも取ろう」という思想は、キリスト教とは逆の発想のようにも思われる。
私は今まであまり宗教同士を比べたことはなかったが、そう考えると宗教間の違いは甚だしい。だから、それぞれの宗教を受け入れる地域や民族に違いが出るのだと思った。あまりにも宗教ごとの考え方が違うから、ある宗教が浸透している地域に別の宗教は入りにくいのだろう。
そして、全ての宗教は「死」に対してどうするかを根本に持っている。故に古来より「死」というものは特別な存在であり、特別だからこそ、次元という単語の解釈は違うが、異次元の象徴として捉えられているように感じる。私は生は死によって完成されるという考え方を持っている。例えば武士の感情に「死に場所を探す」というような表現を用いる場合がある。当たり前のことだが「生」は「死」によって完結するのだが、単に「死」を「終着点」と単純にとるのではなく、「死」によって自分が生きた「生」が活きるからこそ、死に場所を求めるのだろうと思う。
やや話が逸れてしまったので話を元に戻すと、日本には神道が仏教よりも先に存在し、信仰されていることは周知の通りだが、神道を主軸とした大きな事例が天皇家である。唯一つの家系が何千年も続いているのは日本だけであり、「日本」という国号さえ、使用されてもう 1300 年以上になる。これも日本だけであり、これらは世界に誇る大きなポイントである。中国で言えば、唐が現在も続いているということになる。
しかし、この天皇家を始めとして日本人は仏教も信仰してきた。これには神道の「八百万の神」という考え方が大きく影響している。山にも木にも小石にさえも神が宿るというものなので、他の宗教も認めるという寛容な考え方を日本人が持っている証拠となっている。仏教の如来や観音、キリスト教のイエス、ヒンズー教のヴィシュヌのように、宗教の信仰対象の形状は人間に近いのだが、三輪明神大神神社のようにご神体が山である場合もある。先日見た「ビートたけしの教科書に載らない日本人の謎2010」では、熊野には巨大な岩壁がご神体として祀られているという。まぁこの番組では信憑性に欠ける古文書をいかにも真実のように解釈している部分があったので鵜呑みにしてはいけないが。。。
さらにこの神道の「八百万の神」を大事にしてきた日本人だからこそ、「もったいない」という感情があるのだと思う。もし神道がなければ「もったいない」は言葉すらなかっただろうし、現に日本以外の国ではこれを表現する術がないので「mottainai」が採用されたのだろう。
私は日本人に産まれたことに感謝しているし、このような日本特有の特長は絶やしてはいけないと思っている。
私は今まであまり宗教同士を比べたことはなかったが、そう考えると宗教間の違いは甚だしい。だから、それぞれの宗教を受け入れる地域や民族に違いが出るのだと思った。あまりにも宗教ごとの考え方が違うから、ある宗教が浸透している地域に別の宗教は入りにくいのだろう。
そして、全ての宗教は「死」に対してどうするかを根本に持っている。故に古来より「死」というものは特別な存在であり、特別だからこそ、次元という単語の解釈は違うが、異次元の象徴として捉えられているように感じる。私は生は死によって完成されるという考え方を持っている。例えば武士の感情に「死に場所を探す」というような表現を用いる場合がある。当たり前のことだが「生」は「死」によって完結するのだが、単に「死」を「終着点」と単純にとるのではなく、「死」によって自分が生きた「生」が活きるからこそ、死に場所を求めるのだろうと思う。
やや話が逸れてしまったので話を元に戻すと、日本には神道が仏教よりも先に存在し、信仰されていることは周知の通りだが、神道を主軸とした大きな事例が天皇家である。唯一つの家系が何千年も続いているのは日本だけであり、「日本」という国号さえ、使用されてもう 1300 年以上になる。これも日本だけであり、これらは世界に誇る大きなポイントである。中国で言えば、唐が現在も続いているということになる。
しかし、この天皇家を始めとして日本人は仏教も信仰してきた。これには神道の「八百万の神」という考え方が大きく影響している。山にも木にも小石にさえも神が宿るというものなので、他の宗教も認めるという寛容な考え方を日本人が持っている証拠となっている。仏教の如来や観音、キリスト教のイエス、ヒンズー教のヴィシュヌのように、宗教の信仰対象の形状は人間に近いのだが、三輪明神大神神社のようにご神体が山である場合もある。先日見た「ビートたけしの教科書に載らない日本人の謎2010」では、熊野には巨大な岩壁がご神体として祀られているという。まぁこの番組では信憑性に欠ける古文書をいかにも真実のように解釈している部分があったので鵜呑みにしてはいけないが。。。
さらにこの神道の「八百万の神」を大事にしてきた日本人だからこそ、「もったいない」という感情があるのだと思う。もし神道がなければ「もったいない」は言葉すらなかっただろうし、現に日本以外の国ではこれを表現する術がないので「mottainai」が採用されたのだろう。
私は日本人に産まれたことに感謝しているし、このような日本特有の特長は絶やしてはいけないと思っている。
ラベル:
misc
1/05/2010
小沢一郎を任意聴取する方針が固まった
と、先ほど News ZERO で速報として流れていた。この売国奴を逮捕することはニッポンにとって最重要課題なので、一歩進んで良かった。少しでも早く逮捕に至ってほしい。ついでに鳩ポポも逮捕し、衆議院解散してほしい。
ラベル:
politics
Subscribe to:
Posts (Atom)